阪大模試余裕のA判定。センター690→779。浪人のときに気を付けたこと。
僕は現役の時、前期に北海道大学、後期に名古屋工業大学を受験し落ちてしまい、私立は受けていなかったため、行く大学がなく浪人をしました。
この1年間の浪人生活は僕の人生にとても影響を及ぼした1年だと思います。結果としてセンター試験の得点を690点から779点に伸ばしました。
そして阪大模試では冊子に名前が載り、A判定をとることができました。
浪人をして成績が伸びる人は約2割といわれている中なぜこんなにも成績を伸ばすことができたのか、
これから浪人において気をつけていかなければならないことを紹介し皆さんの役にたてたらと思います。
圧倒的に僕が浪人生のとき気をつけたことは復習です。
僕は現役のとき復習をまったくせず予習でとけず授業で分かった問題はそのままにしていました。
そのためその分からなかった類似問題が出てきた時解法などを忘れてしまい解けないことが多々ありました。そのため復習はとても大事です。
もちろん予習や授業も大事ですが、特に授業を受けたらそのまま放置し、復習は愚かにする人が多いので気をつけてください。
僕の復習のやり方を数学をもとに説明したいと思います。
まず、予習の時点で完璧に理解できた問題については理解ができているため、復習はしませんでした。その復習の時間は無意味だと思ったからです。
問題は予習の時点で少し不安があったり、解くことができなかった問題です。その問題は授業のあった日の夜に解放だけ見直し、1週間後に問題を解きなおしていました。
1週間後また分からなかった場合はチェックをして置き、夏などの時間があるときにまた解きなおしました。このような方法で苦手としていた数学を克服しました。
次に、気を付けていたことは計画を立てることです。
僕は現役のとき無計画にひたすら問題を解くタイプでした。
しかし浪人の夏に、ある東大生の計画を立てることの大切さについての講演会を聞き、計画を立て始めました。
その結果、物理や化学の全国河合記述模試では偏差値70を越すことができました。
計画を立てることによりやなければならないこと、残された時間明確になりとても効率よく勉強をできたと思います。
僕が講演会で教わった計画を立て方は説明したいと思います。
計画をたてても3日坊主であった僕でしたが教えてもらったやり方で示すと続きました。
計画を立てる上でまず初めにすることは、やらなければいけないテキストなどを全てメモ用紙に書き溜め、
1周するのにどれくらい期間がかかりそれを何周すれば完璧になるかも横に書くことです。
そして僕の場合は1ヶ月ごとに計画を立てました。計画を立てたことがある人なら分かると思いますが計画はほとんど上手くいきません。
なので計画のズレを直す為に日曜日はなにもすることを決めない日にしましょう。日曜日は1週間で計画通りにできなかったことをするのです。
そうすれば誰でも計画通りにやらなければいけないことをすることができます。
計画を立てるには時間がかかると思います。僕も計画を立てるのに1日かけました。
やみくもにやり何をやったか分からなくなるよりも計画を立て計画通りにやり切った達成感とそれと比例して身につく実力を模試などで実感してほしいと思います。
このいま述べた2点さえ気を付けて、勉強を頑張ればおのずと成績は伸びてくると思います。
読んでくれた人は受験生が多いと思います。皆さんの受験が上手くいくことを願っております。
この記事を読んでくださって本当にありがとうございました。
皆さんの何か少しでも役に立てたならうれしいです。
挑戦大好き。。。馬鹿から這い上がったバナナオレ(現役大学生)のプロフィール
はじめまして!現役理系大学生のバナナオレです。
僕は普段大学生としてまっとうな生活をしているはずです!!!
もともとは勉強が苦手なサッカー大好き少年でしたが、あることをきっかけに勉強を始め、気づけば国立大学に入ってばりばり勉強をしています(多分)。
そんな僕は新しことに挑戦するのが好きで今回、初めてブログを書いてみることにしました。
ここでは僕の生い立ちについて簡潔に綴っていきます。
目次
人気者だった幼稚児
自慢ではありませんが僕は幼稚園児の時とても人気者でした。
どれくらいかというと、いつも僕の周りには友達がいて、給食の時間になると僕の隣に座るために椅子取りゲームが始まっていました(笑)。
そんな幼稚園児の頃はみんなでよくブランコをしたり、三輪車を漕いだりと平和な日常を過ごしていました。
また、母親同士が仲がいいということもあり、保育園が終わった後、幼稚園児のくせに夜8時くらいまで友達の家でゲームをしていました。その頃はファミコンが流行っていました。
今、考えると夜8時まで遊ぶって相当おかしいですよね(笑)
こんな生活を続け、みんなと仲良く保育園を卒園しました。
サッカーに目覚めたわんぱく小学生
僕の小学生時代はサッカー一筋でしたと言いたいところですが、1年生の頃は習字を習っていました。
元気いっぱいわんぱく少年な僕が習字を習い始めたきっかけは姉の存在でした。
僕の3つ上の姉は習字を小学校入学後習い始め、4年生のころに展覧会があり、その展覧会で入賞し、トロフィーを家に持ち帰ってきました。
そのトロフィーを見た僕は、自分もトロフィーが欲しいと思い、その思いだけで習字を始めました(笑)。
しかし、友達の勧めでサッカークラブに2年生のころに入り、遊ぶ時間が激減してしまったために習字を1年で辞めちゃいました。
その後はサッカーに没頭し、3年生になるころには5年生の試合に出場し、4年生のころには6年生の試合に出ていました。
放課後といえば、サッカークラブの練習に行くか、友達と遊ぶかのどちらかで勉強は宿題だけ最低限するだけでした。
こんな感じでサッカーをして小学生は終わりました。
人生の転機となった中学生
さて、ついに僕の人生を大きく変えた中学時代が来ました!
中学時代も小学校のときに引き続き、サッカーを続けており、勉強もさほどしておらず、常に平均くらいの成績をとっていました。
こんなサッカーばかりしていた自分にも2年生になると彼女ができ、そのことがきっかけで僕の人生は変わりました。
詳細について述べると長くなってしまうので、また他の記事で書きたいと思います。
簡潔に述べると彼女を幸せにするため、将来を見据え、サッカーしかしてこなかった僕が塾に行きはじめ、進学校入学を目指し、ひたすら勉強に励んだのです!
その結果、進学校に無事入学することができました!
青春なし?!勉強に明け暮れる高校生
進学校に入学した僕は、勉強とサッカーで忙しく、中学校の時に2年間付き合っていた彼女に振られちゃいました。
そんなこともあり、高校では誰も幸せにしてあげられないと考え、恋愛は諦め、勉強とサッカーだけの日々に日々を過ごしていました。
そのため、元馬鹿な僕でも進学校で中の上くらいの成績をキープできていました。
そして受験生となり、僕は前期に北海道大学、後期に名古屋工業大学を受けた結果、落ちてしまい、浪人することになりました。北海道大学に受かる自身しかなかったため、保険の私立大学を受けていませんでした。
浪人時代のことも他のブログで書きたいと思います。結果的にゆうとセンター試験の点数を690→779まで伸ばすことができ、無事第一志望の大学に入学することができました。
勉強から解放されし大学生(現在)
そして、大学に入り、受験勉強から解放された僕はやっと恋愛もできると学生生活を楽しみにしていました。
楽しい大学ライフを送るはずだったんですが、コロナが流行してしまい、授業もオンラインになり、楽しみだった新歓も中止になり、、、、。
まあ、2年生となった今はなんやかんや友達もでき、楽しく過ごしています。
現在は、3年生の就活に向けて、資格の勉強などに日々を費やしています。
あ、あと筋トレもほぼ毎日しています!!!!!
大学に入り、様々な新しいことにチャレンジしてみました!その1つに筋トレもあり、今では僕の日常にとってかけがえがないものになりました(笑)。
まとめ
僕の生い立ちはこんな感じです。最後までこんな拙い文章を読んでいただきありがとうございました。僕の人生はいろいろな挑戦があり、いろいろな体験をしてきたため、その体験や、僕の現在の日常をこれから記事にしていく予定です!本当に読んでいただきうれしい限りです。